Clouds Rest〜雲の上で

ヤフブロから移行(旧ハンドル:いぬどし)。 基本登山を中心とした山行記録、ギアなどの話。そのほか雑多な記事を書きます。

カテゴリ: 書庫書庫(本の紹介)

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登山家山野井泰史さんの書著「アルピニズムと死 」を読んだ。 


その恐るべきキャリアの割に知名度は低いが、本物のクライマーの一人で、何より今日まで生き残っていることが素晴らしい。 
2002年に世界15位の高峰「ギャチュン・カン」に夫婦で挑み(奥様も有名な登山家)右足の全ての指と両手の指の半分を失ってしまう。 
それでも登ることを止められない・・・ 
ここに主のテーマ「アルピニズムと死 」を感じてしまった。 

登山は通常のスポーツと違ってブレーキの効きが簡単に命に左右する。 
大岩壁をフリーで登攀するクライマーではなく、ハイキングでも基本は同じだ。 
つまずいて落ちたら大怪我以上・・という場所がないまったくない登山道は知る限りほとんど無い。自身のコンディションや体力、装備、天候全て考え決断の連続で先に進む。 
ここで一定のブレーキを決断出来ないと大事に至る可能性が高い。 

アルピニズムとはスポーツとしてより困難な道を追求する考えかたである。 
私自身はレジャー登山者だけれども、どこかで(というか自覚してるが)人とは違う、なるべく困難なルートやユニークな手法を模索している。 
そこには大げさに言えば確実に「死」を意識する。 
当然、レベルで言えば全然甘ちゃんなのだけど、本当の素人さんから見れば足がすくんで動けないくらいの場所には行ったりしている。 

この本の生々しいところは、出てくる登山家・クライマーがことごとく命を落としている。 
あれ?この人・・と思って検索すると案の定、昨年に亡くなっていたりする。 
御嶽山の噴火は特殊かもしれないが、ロープウェイを使った登山でも命に関わるリスクは常にある。 

それでも・・・止められない。のだ。 

登山はエスカレートのレジャーで、はまると一定の角度を持って加速する。 
自分は客観的に見ているが、基本はその自由落下を止められないのだ。 

なので、常に危険を過剰にまで意識して一歩を踏み出すようにしている。 
危機に直面した時に行動規範より前に、危機に陥らない事に最大限の努力をしたい。 

そこを乗り越えた時・・・ 

ありきたりで大げさで使い古された言葉のだけど・・・ 

生きている事を感じる事ができる。 

死とのコントラストで生を感じるのは、ネガティブな考えかもしれないけど。 

それでも・・・きっと止められないのだろう。 

この本を読んで改めてそう思った。

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ジェノサイド
高野和明
角川書店

あらすじ
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。
                     「BOOK」データベースより

今一番旬の小説だ。
この話はちょっと説明しきれない程の要素が詰まってて、どこから話していいのか皆目見当がつかない。正直「あらすじ」だけではまったくその深さを想像することが出来ない。
一言で言えば、恐るべき内容であり、ここまでの物語を「完成」させた事に著者に対し畏敬の念すら感じる。
展開や設定は派手な内容で、一見荒唐無稽な設定にも思えるが、何より圧巻とも言えるリアリティのある書き込みと精緻さで読者を掴んだら終わりまで離さない。ド派手なエンターテイメント小説とも言えるのだが、恐らく徹底した取材と勉強量によって足元をがっちり固めてあるのだ。


ジェノサイド・・・つまり虐殺という意味だ。
これは地球上で「ヒト」だけが行う同種間の殺戮である。
例えば同じ霊長類のサルが同種間で大量虐殺を行っていたら我々はどう感じるだろう。また、サルが総力を決して人間に戦いを挑んで来たら?
前者は嫌悪感を感じ、後者は「戦争」にすらない状態で「ヒト」がサルを押さえ込むだろう。
人間が万物の長である錯覚をテーマにした小説は数多ある。
その中でも傑出した内容であり、テーマ・表現・ストーリー・先の読めない展開・知的欲求等等、小説読みにはタマラナイ時間を提供してくれるだろう。


しかし

万人に勧められない面もある。
途中で読むのが辛い場面が数多くある。
それは「戦争の悲惨さ」をこれでもか、という位で書き込んであるのだ。
一個人のミクロな視点で(それが子供だったりする)ちょっと現代日本では信じられない様な現実が描かれている。
ページの向こう側の登場人物が時に、完全に精神が破壊されてしまう程の過酷な試練・・試練ではなく、ただただ絶望のどん底に身を置き、精神は狂気を逃げ場にして、死のみが唯一の救いになるのだ。
映像として想像したり、相手側の精神に入り込んで読み進めてしまうと、それだけで読み手の精神にダメージを与えてしまう恐れは多分にある。

それでも、きっと読み手はページを繰る手を止められない。
その先にこのダメージを浄化してくれる何かを求めてしまうのだろう。
そしてそれは達成される。

興味ある方は自己判断で。
それでも、文句なく今年(まだ1月だけど)最高傑作と言って良い本でだと思います。

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永遠の0(ゼロ)
百田尚樹
講談社文庫

あらすじ
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる―。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。涙を流さずにはいられない、男の絆、家族の絆。
(BOOKデータベースより)

時は現代、祖父のルーツを調べることになった姉弟が、祖父を知っている戦争を生き延びた人々にインタビューしていく形式で話は進む。
小説の8割くらいが「回想録」で構成されている。
戦後生まれの自分の世代は、大東亜戦争(太平洋戦争)は忌み嫌うべきもの・・日本の暴走として教育されて来た。歴史に「反省」という要素が必ず含まれて語られて来た。
ただ、善悪の二元論で戦争等語れるものではないという思いが個人的に強い。と語る前に「史実」そのものを実は殆ど知らない。そのような経緯を経て「広島長崎」に繋がっていくのか?
この小説はその戦史を大まかではなるが知る事が出来たのは個人的に大きい。主に海軍の話ではあるが、軍に翻弄されながらも個々の兵士は「狂信的」ではなく自ら死地に赴いていった感覚は想像出来る範囲の人間の感覚だ。

話がそれた。
主人公の「宮部久蔵」本人はすべて人々の回想の中にしか出てこない。
それでも、その生き方が読むものに感動を与えずにはいられない。
当時の軍隊の中にあって「生きて帰る」事を公言してはばからないその存在はゆっくり多くの人を惹き付け、生き方を変えていく。
小説は大きな歴史のうねりの中で、ラストには驚愕する事実に着地していくのだ。

この小説がデビュー作ということもあり、要所要所では不自然さも見受けられるが、あくまでテクニックレベルでの話であり、小説の価値そのものには繋がらない。
物語に一番大事な「吸引力」をしっかり持っている作品だ。
次回作以降が楽しみな作家さんである。

ちょっと長いが「戦争もの」にアレルギーが無いのならばオススメ出来る差作品である。

2011/11月読了

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儚い羊たちの祝宴
米澤穂信
新潮文

優雅な読書サークル「バベルの会」にリンクして起こる、邪悪な5つの事件。恐るべき真相はラストの1行に。衝撃の暗黒ミステリ。
夢想家のお嬢様たちが集う読書サークル「バベルの会」。夏合宿の二日前、会員の丹山吹子の屋敷で惨劇が起こる。翌年も翌々年も同日に吹子の近親者が殺害され、四年目にはさらに凄惨な事件が。優雅な「バベルの会」をめぐる邪悪な五つの事件。甘美なまでの語り口が、ともすれば暗い微笑を誘い、最後に明かされる残酷なまでの真実が、脳髄を冷たく痺れさせる。米澤流暗黒ミステリの真骨頂。(「BOOK」データベースより)

これは本当に面白かった。
この作者は「インシテミル」しか読んだ事がなかったが、これはまた前々空気の違う作品である意味サプライズ。
名家の令嬢、またはしの使用人、全て若い女性の一人称で物語は進んでいく。現代ではなく、昭和の何処かの時代という趣きで、なんとなく江戸川乱歩や横溝正史の世界を思い起こさせる。
設定自体もありえないものが多いにも関わらず、独特の語り口で読者を強烈に吸引していってしまう。どちらかと言えば好きな文体という訳ではないだが、そんな自分でもここまで惹き込まれてしまうくらいの内容だ。
全ての作品(5編からなる短編集)をお勧め出来るが、強いてあげれば「玉野五十鈴の誉れ」が強烈な印象を残す。
オススメ出来る本かどうか。。。個人的にはかなりヒットなのだけれど、グロテスクと言えばグロテスクであり(内容もあるけど、空気自体がグロテスク)そのあたりの耐性によるかもしれない。
見てはいけないもの、、でも見てみたい、という方は是非♪


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八日目の蝉
角田光代
中公文

あらすじ
第0章 - 第1章
1985年2月、愛人であった秋山丈博の家に侵入した野々宮希和子は、眠っていた赤ちゃん恵理菜を見て衝動的に誘拐する。希和子は赤ちゃんを薫と名づけ、親友の家や立ち退きを迫られている女の家へと逃亡。しかしやがて、警察が追いかけていることを知ると、公園で天然水や自然食を販売していた謎の団体・エンジェルホームに身を隠すことを決意。所持金をすべて手放し入所する。
第2章
希和子が逮捕されて17年後の2005年。秋山恵理菜は大学生になり、過去の出来事を忘れようとしていた。彼女がアルバイトをしているところに、かつてエンジェルホームにいた千草と名乗る女が現れる。入所していた人間を取材していた彼女は恵理菜からも事件のことを聞き出そうとする。一方、恵理菜は妻子持ちの岸田と付き合う中で希和子と同じ道をたどろうとしていることに恐怖を覚える。そして、恵理菜にある異変が起きる。
(ウィキペディア)

映画先で原作をやっと読んだ。
映画は映画、原作は原作とどちらも良さがあることを確認出来た。
物語は原作のほうが重厚で読み応えがある。
そしてそのテーマと切なさを映画では非常に良く表現出来ていると感じた。さらに映画ならではのアレンジもはまっていて、構成としてはより困難な手法であり、効果的に見せた映画に軍配が上がった(個人的感想)。

設定自体は解り易くフクザツではないのだが、ここまで物語として完成させられるのは作家の力量の他無い。角田光代の作品は実は初めてで機会があったらまた手に取りたい。
また女性作家に良く感じる「女性にしか書けない感」を凄く感じた作品でもあった。映画もそうだが男性キャラは本当にしょうもない人間しか出てこなかったり・・・

エンディングは映画の方が良く出来ていたと思う。
後半を読み進めている時は、ベタながらも映画と違った結末に期待した。
しかし、作家魂的にはそうはいかな、、という予想されたエンディングは個人的にはちょっと物足りなかったかも。
ということで、映画とセットで堪能するとより楽しめる作品だと思う。


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