

年齢を重ねれば訃報を目にする機会が増えるのは仕方ないですが・・・
この時が来てしまった、と思いました。
デヴッドボウイは恐らく中学生の時に生まれて初めて本格的にファンになったミュージシャン。
丁度、ヒットチャートを賑わせていた「レッツダンス」、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」がブームになっていた頃だと思います。
当時、一所懸命レコードを集めていて、今でも名盤「Ziggy Stardust」は手元にあります。
凄いと思ったのが「LOW」というアルバムでこれはインスト(歌なし曲)のアルバムでした。シンガーなのにインスト・・・そういう革新的な音楽が商業ベースになる時代が1970年代だったのでしょう。
歌詞も独創的で「Ziggy Stardust」は火星からやってきたロックスターというモチーフでアルバム一枚が構成されています。その独特の歌詞は当時読み漁り、詩集まで買って今も大切に持っています。
決して歌唱力で歌い上げるタイプではないのですが、その独特の歌声はどんなにいろんなタイプの曲を歌っても彼だと分ります。
グラムロックという同じ分野のアーチストとしてT. REXのマークボランが挙げられます。
浦沢直樹の漫画で映画にもなった「20世紀少年」は、このバンドの「20th Century Boy」からのモチーフで、映画の主題歌にもなってました。
そのマークボランは若くして事故死してしまいますが、その対極として個人的には「生けるグラムロック」と位置付けていたのがデヴィットでした。
今BGMでQueenの「Under Pressure」を聴いていますが、この曲ではフレディマーキュリーと共にゲストボーカルで彼が歌っています。
フレディも含め、数年前のゲイリームーア(羽生結弦選手のおかげで「パリの散歩道」が蘇った時は泣けました)しかり、思春期に憧れたアーチストが次々に鬼籍に入る年齢になったと実感します。
そして、今さっき、高校の同級生から電話があり、二人して彼の死を悼みました。
語っても語り尽くせない数少ないアーチストの一人ですね。
かなり迷いましたが、ここは大好きな曲「Starman」でデヴィットを送りたいと思います。
感謝を込めて。
https:/ /www.yo utube.c om/watc h?v=vJ7 ROgsU3g Q
写真は1985年にロンドンの書店で買ったムック本です。
ヤフオクに出品したら幾らになるか興味深いですが、家宝にします(笑)
カテゴリ: MUSIC1(イロイロ)
好きなミュージシャンがまた一人旅立ちました
GUITAR STORIES 情熱のスーパーギタリスト列伝 石田長生氏
石田長生、62歳。
また偉大なミュージシャンが逝った。
BAHOのライブに行ったのはいつだったろう。
しかし大阪のミュージシャンって、とにかく地域色を感じますよね。
関西のおもろカッコええオッさん、関東人として憧れますね。
安らかに。
THE GREATEST LOVE OF ALL
THE GREATEST LOVE OF ALL
ホイットニーヒューストンが48歳で亡くなったそうです。
若すぎるなぁ。
この曲の入っているアルバムはほんと良く聴きました。
自分はロックな人なんですが、彼女は別格でしたね。
ご冥福をお祈り致します。
【予告!?】Summer Of '69カバー
Bryan Adams - Summer of 69
この曲が大ヒットした時は多分中学生だったと思う。
高校生でギターを始めて、最初に買ったスコア(楽譜)がこの曲の入っているブライアンアダムス「RECKLESS」だった。
本当に単純なロック・・・だけど、凄く思い入れの深い曲だ。
そして・・・
今この年齢になって改めて聴いてみると、、
心に響きます。
おぼろげに伝わる英詩の内容を確かめるべく・・
訳してみました♪
そんなに難しく無い英語ですが、翻訳ソフトやら、一部ネットで訳詞も参考にして、自分なりの解釈の意訳で頑張ってみました。
これでも、昔は英語ちょっと得意だったんですよ(笑)ちょっとね。
ちなみに英詩はコピペではなく、ちゃんとタイピングしました。
レコーディング前に魂込めようと思いまして(^^)v
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Summer Of '69 Bryan Adams
I got my 1st real six string Bought it at five & dime Played it til my fingers bled was the summer of 69
( 初めてギターを手にしたんだ それは5ドルちょっとの安物だったけど、指に血がにじむまで練習したのは確か1969年の夏だった)
me and some guys from school Had a band & we tried real hard Jimmy quit Jody got married
(学校の仲間とバンドを組んで、練習に明け暮れた やがてジミーはバンドを抜けて、ジョディは結婚した)
should a known we’d never get far
(成功への道は遠いって 思い知らされた気がした)
Oh When I look back now That summer seemed to last forever
(今思い出してみると あの夏は永遠に続くと思っていたよ)
and if Had the choice Ya I’d always wanna be there
(もし戻ることが出来るなら いつだって戻りたいと思う)
Those was the Best days of my life
(あの頃は 僕の人生で一番の日々だった)
Ain’t no use in complain in‘ When you got a job to do Spent my even in’s down at the drive in
(仕事についたら 愚痴なんて言ってられないよ ドライブインで働いてたんだ)
And that’s when I met you oh
(そう、その頃君と出会ったんだ)
Stand in on your mama’s porch You told me that you’d wait forever
(君の家の玄関で ずっと待ってるよと言ってくれた)
Oh and when you held my hand I knew that it was now or never
(君が僕の手を握りしめてくれた時 僕はそれが分岐点だと知っていたんだ)
Those was the Best days of my life
(あの頃は 僕の人生で一番の日々だった)
Oh yeah back in the summer of sixty nine Oh
(ああ 思い出の1969年の夏)
Man we were killin’ time we were young and restless we needed to unwind
(僕たちは無駄な時間を過ごし 若くじっとしていられなかった でも気づかなければいけなかったんだ)
I guess nothin’ can last forever forever yeah
(永遠に続くなんてあり得ないことを)
And now the times are changin‘ Look at everything that’s come and gone
(そして時代は移り変わり 色々なことをを見て来たんだ)
Sometimes when I play that old string Think a bout ya wonder what went wrong
(たまに古くなったギターを弾いたりして 君の事を思い出す 何が悪かったんだろうって)
Stand in on your mama’s porch You told me it would last forever
( 君の家の玄関で 僕らは永遠に続くって言ったよね)
Oh the way you held my hand I knew that it was now or forever
(ああ 君が僕の手を握りしめてくれた時 僕はそれが分岐点だと知っていたんだ)
Those was the Best days of my life
(あの頃は 僕の人生で一番の日々だった)
Oh yeah back in the summer of sixty nine nnh it was the summer of sixty nine
(ああ 思い出の1969年の夏 そう、1969年の夏だったんだ)
音楽遍歴(8)~社会人1
山下達郎-「プラスティック・ラブ」
「音楽遍歴」という連載(?)を2008年頃までブログでやっていてなぜか放置してしまってました。とうか単に忘れていただけ、だと(^^;)
以下前の連載(?)のリンクです。
ということで再開してみます(笑)
大学を卒業してちゃんと髪も切り、社会人となった。
就職先は銀座に有る有名楽器店である。
当然まわりは楽器な人がたくさんだ。
男子はバンド系、女子は音大系が多かったと思う(今は転職済み)。
社会人としては、やっぱりバンドをやる機会は溢れていて、社内で定期的に「バンド大会」すらやっていた位だ。
そこで自ずと声がかかったりする。
しかし!!
井の中の蛙とは自分のことでハード&メタラーな自分はいろいろと打ちのめされてしまう出来事が多々あったりした。
簡単なアドリブくらいは出来るようにはなっていたが、後輩にJAZZギターの名手がいたりしてセッションとかすると。。
「どっからそんなフレーズが!?」
というアドリブが平気で出てくる。
コードソロやオクターブ奏法等、、、20ちょいの若造が(自分も同じくらいだったけど)涼しい顔でこなしてしまったりする。
先輩のバンドに初めてリードではないバッキング要員として招かれた。
曲は「山下達郎」「オリジナルラブ」等。
メタルに比べれば「楽勝」なんて思っていた。。
で、、耳コピー・・・
これが泣きたい程難しいのだ。
今でこそ、、だが、、、本当に大変だった。
特に「オリジナルラブ」の代表曲「接吻」のイントロ、、無伴奏単音カッティングはあのリズム感がどうしても出せず、、己の音楽に対する造詣の浅さを嘆いたものだった。
今出こそカッティングは人並みに出来ると思っているが、この体験あってこその技術だったと思う。
そんなこんなで、20代はかなり多くの刺激を受けて音楽に取り組んだ時代だった。