Clouds Rest〜雲の上で

ヤフブロから移行(旧ハンドル:いぬどし)。 基本登山を中心とした山行記録、ギアなどの話。そのほか雑多な記事を書きます。

カテゴリ: 怪談紹介(実は実話)

ここのところ写真の話題でちょい盛り上がった(鎮火しましたが)ので、カメラに関するお話など。

時は1985年8月12日頃・・・
場所は群馬県の北軽井沢・・・

その頃気まぐれで高校の天文部に在籍していた。
もともと星が好きで地学のテスト等は文系なのに満点近くを取っていたくらいだ。

シチュエーションは天文部の合宿。
高校の宿泊施設で1週間ほど夜通し流星等を観測していた。

ありがちといえばありがちだが、この施設では無数の怪談話が存在しており、どれも先輩の体験談だったりする。
天文関係はカメラ技術とも切っても切れない縁で、カメラに関する話も多い。
例えば・・・部屋に三脚をつけたままのカメラを置いて外出。帰って部屋に入った途端、閉まっている窓のカーテンがぶわっと舞い、その瞬間カメラのシャッターが・・・

「カシャン」


と落ちる・・という類いのものだ。
これが作為的な怪談だと「その時に写っていたものは・・・」となるが、話はそこでおしまいだ。

そんな話を聞きつつ、自室からカメラを抱えて観測地点に向かっている時だった。
もちろん、これは自分が体験した話だ。ハッキリ記憶している。

カメラはニコンの一眼レフ、親に買ってもらった新品である。
完全機械式のマニュアルモードと電子制御のモードで分かれていた。
天体写真は基本的にマニュアルだ。レリーズと三脚で露出時間を数分から、長い時で数十分も掛けて撮影する。
今の一眼レフはどうか知らないが、フィルムを巻くレバーがあり、これを本体に平行にすることによってロックされ、シャッターが降りない構造になっている。

そして、このロックは確実に掛かっていた。
そもそもロックしない状態というのはレバーが少し本体からはみ出す形なるので不自然なのだ。

三脚についたカメラの三脚部分を持って・・・
友人と談笑しながら廊下を歩いていると・・・





「カシャン」






シャッターが落ちた。

「ええええーーー????」

キチンとロックしている。
オカシイ。
それを最後にカメラは動かなくなってしまった。
結局合宿中はまったく使い物にならない状態。うんともすんとも言わない。

TVでは御巣鷹山の事故のニュースが流れていた。
(確かに近かったが、それは関係ないと思う)

そして、合宿終了後、早速ニコンのサービスセンターへ修理に持ち込む。
数週間後・・・修理完了したとの連絡を受け、取りに行く。
そこで、係りの人の説明はこうだった・・・

「ええっと。。。どういう使い方をされたんですか?」
「いえ?普通に使ってたらなんかシャッターが降りて、それで・・・」
「そうですか・・・でも・・・」











「カメラの内側から指を突っ込んで掻き回さないと、こういう壊れかたはしない筈なんですが・・・・」















その後、とくにこのカメラでトラブルは無い・・・

<<まじ、実話ですよ~>>

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これが噂の「オーブ」か??


市内の古民家で撮った写真。
なんか白くて丸いモノが写っている。
最近心霊業界(というかTV)で良く聞く「オーブ」かな、と思っている。

詳しい人、教えて下さいませ

単純にレンズについたホコリかもしれないけど、この前後に撮った写真には何も写っていなかった。

さて、どうなんでしょう??

<<そんなに写真ネタは無いので、このシリーズは相当不定期かと思われます>>

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手が無い!?


以前実家の荷物を整理していたら久々に昔撮った心霊写真が出てきた。
三宅島で撮ったものだが、自分の両腕の先が消えている。後ろが透けて見えちゃっているのが気味悪い。派手な心霊写真ではない所がいぶし銀、というか、説得力がある気がする。両腕を速く動かしたのではないか、と言う人も居るかと思うが、何故写真を撮る時にそんなことをするのか説明出来る人はないだろう。この時そんな意味のない事をしていないのは私自身が一番良く知っている。
こういう写真の場合は「両腕のケガ」に気を付けろ、ということになるのだろう。特に気を付けているわけでは無いが、今の所無事である。
そんなに心霊写真を沢山撮るほうではないが、そう言えば高校時代、合宿先の三段ベッドの上から先輩を撮ったら、写真の半分にその先輩を拝む大きな黒い影が写っていたことがあった。残念ながらその写真は紛失して今は無い。
心霊写真なんて、あんまり気持ちの良いものでは無いが、たまに撮れると話題の引き出しが増えるので、戸惑いながらも由とすることにしている。

タイトル以上にコワイです~トイレが野外にある人は読まないで下さい!!


時はおそらく1994年頃かと思われる。
結構有名な音楽関係の企業に勤めていた。場所は日本人なら誰もが知っている通りのある場所だ。
その一角、4階建ての古めのビル。スタジオ形式の部屋が沢山ある店舗に勤務していた。
音楽=霊的なものを引き寄せる。誰もがきいた事あるだろう。
昔オフコースの曲に霊の声が入っていたなんて有名な話だ。
知り合いの霊感の強い人に聞いた話によれば、西洋音階、つまりA(ラの音)=440ヘルツを基準にした波長は霊の波長と合うのだという。それを考えれば鎮魂歌、なんて言葉は科学的根拠のあるものなのかもしれない。

ビルの構造はこうだ。

4F スタジオと休憩所と貯水槽
3F スタジオとトイレ
2F スタジオと事務所とトイレ
1F 店舗とスタジオ

ある日、店も閉まる夜8時すぎ。
2F事務所から、1Fに降りた。
すると、1FのカウンターにいたIさん(女性)とH君(男性)が自分に向かってこう言った。
「○○さん(自分の名前)、今、カエルが鳴いたんですよ」
話によれば、カウンターで談笑していた所、自分が降りてきた階段方面から「ゲロっ」という声が聞こえたというのである。
こんな都会にカエルなんている訳ないしな。でも、聞こえたんですよ。なんて言う会話を交わした。
もちろん二人とも聞いたらしい。
その時は霊的な話ではなく、あくまで「カエルが鳴いた」であり、翌日以降話題になる事もなかった。

そして翌年。
新入社員のNさんが1Fのスタジオで鍵盤楽器を練習していた時だ。
Nさんはなかなか変わったキャラ、というかお嬢様チックな感じで、あまり自分から冗談をいったり、人を驚かせる事をしないような子だった。
その彼女が、急にスタジオから出ると、エントランスから外に出て、ビルの裏に廻り、また戻る、という行動を数回繰り返している。聞くと、楽器演奏中に壁から「ゲロっ」という声がするので、不審に思い何度もビルの裏側を確かめにいったというのだ。
いくらなんでも、行動自体はとんちんかんこの上ないのだが、彼女は最初の「ゲロっ」は知らないし、ある意味超現実主義なので、かえって真実味のある光景であったのだ。

そしてまた1~2年が経過する。
今度はアルバイトの女の子のTさんだ。
彼女はこのアルバイトのあと、アメリカのバークリー音楽院に留学し、ある学部を首席で卒業。2年ほど前に帰国し、活躍している作曲家だ。Yahoo!の作曲家のデータベースにも載っている実力派だ。
この時は、自分が1Fのカウンターに居た。
彼女はアルバイト初日だったが、前からの知り合いだったので、自分に気軽に声を掛けた。
「あれ?○○さん、2Fの事務所に居ませんでした?」
「え?ずっとここにいるよ」
2Fに戻り様子をみるTさん。誰もいない。というか、やはり閉店間際なので、自分が店番をしていたのだ。
「どうしたの?」
「今階段を降りてくる時、へんな・・・オエっ、とかゲロっっていう声が聞こえたんで、○○さんがいたのかな、って思って・・・」
「・・・・・・ぞぞぞ~」
アルバイト初日の彼女が、数年前の怪現象を知っている訳が無い。

一体なんなのであろうか・・・

ここで話は終わらない。
その後自分は他部署に転勤し、21世紀を迎える。

ある飲み会。このお店の同窓会的な飲み会だ。
そこで、この話になった。
なんなんだろうね~。気味悪いね~。カエルかなぁ。

その時である。
同席していたY先輩が顔面蒼白になった。
Y先輩は自分が配属される数年前にこの店舗に勤務していた。

その時・・・
3Fで人が亡くなったらしい。50代の男性。
ピアノのレッスン中に、脳血管系か心臓血管系、つまり脳卒中か急性心筋梗塞で倒れたとのこと。
この話自体は聞いた事があった。

「じゃぁ、その霊かな~」

当たり前の展開に飲み会が盛り上がる。
しかし、先輩は続ける。

救急隊が3Fに上がり、担架に乗せて、慎重に階段を下る。
Y先輩も付き添う。

そして・・・階段の途中で、その男性は・・・



















吐瀉してしまったらしい・・・ゲロっ

















こうして世紀をまたぐ怪談が完成した。
まるで、シックスセンス並の叙述トリック・・・しかし、これはまぎれもない実話なのである。

勝手にモノが動いてしまったり、凄まじい形相の幽霊が目撃された訳でもない。
しかし、この圧倒的なリアリティ。
パズルの最後のピースがはまってしまった時の恐怖・・・

そして、そのビルは今は取り壊されてコインパーキングになっている。


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